JBS FUKUOKA JUNIOR BATTING SCHOOL

インフォメーション

2018/09/28【ブログ】

プロ野球戦力外通告の裏側

こんにちは!!

福岡県の野球教室のジュニアバッティングスクール福岡の代表、野球学校であるLOS Baseball Schoolの学校長を務めております元オリックスバファローズ投手の前田祐二です。

いやあ、プロ野球選手にとっては大変嫌な時期になってしまいました。

シーズンは佳境に入り、どこのチームがクライマックスシリーズに行くのか?ファンのみなさんにとっては一喜一憂する見ごたえのある時期ですが、その裏では誰が戦力外になるのか?と気になる季節でもあります。

そこで今日は裏話と言いますか、戦力外通告とはどのようなものなのかを知ってもらいたいという気持ちがこみ上げてきましたので書かせていただきます。

プロ野球って世間の印象通りものすごく華やかな世界で、選手はファンの人から応援されてたまに差し入れやプレゼントなんかももらえたりするし、周りからはチヤホヤされるしで、それはまあ最高の職業です。

ですが、花火と一緒で一瞬の輝きのあとすぐに消えてしまうような怖い世界でもあります。

「去年までめちゃくちゃ活躍していたのに今年は全然試合にでてけえへんな。」

「今年全然打たへんやん。あいつもうあかんな。」

「しっかり投げろや。もう辞めてまえ。」

応援されるということは逆に活躍しなくなるとボロクソに言われるということです。

全く面識のない人からボロクソに罵声を浴びせられることを想像してください。笑

めっちゃ嫌でしょ??

でもプロ野球選手はそれも覚悟のうえで、そういう心ない声にも負けずに一日一日を大事に、朝から遅くまで練習に励み、ファンの人に応援されるよう、愛されるように頑張っています。

今僕は「心無い声にも負けずに」と言いましたが、引退してから気づきましたが、こういう罵声を浴びせられるときはまだ幸せだなと思います。

戦力外通告とは、さっき「知らん人からボロクソに言われる」のを想像してもらったときに感じた気持ちよりも、さらに精神的にきついんです。

叱咤激励されていたのがウソのように誰からも何も言われなくなります。

(僕は教えにいっているバッティングセンターに手紙がたまに来たりしていますが。ありがたいですね。)

小さいときから当たり前のようにやってきた野球を失うということは、鳥から羽を奪うようなものです。

しかも戦力外通告はビックリするくらい突然に訪れます。

通告されるのは、前日の夜です。

夜に関係者のかた(僕は1軍のマネージャーのかたでした)から電話がかかってきて、

「明日スーツで来てくれ。」

と言われるだけです。

まあこの時期に電話がかかってくるということはそういうことしかないんですけど、その事実を受け入れるには正直時間が足りません。

寝れませんしね。笑

次の日の朝には球団の偉いさんに囲まれて戦力外を通告されるんですよ。

電話が来てから何時間もないですから、考える間も与えずに、じゃあそういうことでって。笑

ほんとに数分で今まで何年も頑張ってきたことを否定されるわけですからメンタル的にはおかしくなりますよね。

でも僕たちプロ野球選手は、戦力外になっても誰一人として文句は言いません。

それは「自分の実力が足りなかっただけ」だからです。

ほんとは誰もが内心で「まだやれるのに」と思っていますし、「なんで俺が?俺以外に1軍で活躍してないやついるやん。」って文句を言いたくなります。

でも言ったところでなんの意味もないし自分の経歴を汚すだけですから、それを全員がわかっているから文句は出ないんです。

文句を言っている暇があったら次の目標のために歩き出すほうが賢明ですから。

ここからは僕の話になりますが、僕は2009年ドラフト4位でオリックスバファローズに入団しました。

そして2015年に引退するまで通算61試合に投げて7勝7敗4ホールドを記録しています。

(Wikipedia参照)

最終年はどうだったかというと、たいていの場合戦力外通告を受ける人は1軍に出場していないか、出場していても少ない試合数で成績が極端に悪い選手が多いんですが、僕は15試合に投げて1勝1敗2ホールドという成績を残していましたし、緊急登板も2回しており、チームの力にはなってたんじゃないかと思います。

でも僕の全盛期に比べるとスピードもキレもコントロールもすべてにおいて落ちていたのは自分でもわかっていました。

戦力外のボーダーラインにいることはシーズン中からわかっていたので、左肩甲骨の肉離れを隠しながら試合に出ていましたが、最後は痛み止めを2錠飲んでも痛みが引かず、これ以上1軍にいても迷惑をかけるだけだと自分で申告しました。

そんなこともあり防御率は5点台と、イニングが少なかったというのもありますが、自分でも満足できない結果でした。

1軍の試合には投げて勝利もあるし緊急登板もしたし、でも最後ケガしたし年齢も微妙ってことで実際戦力外は50対50くらいだと考えていました。

そしてシーズンが終わり第一次戦力外通告の日がきましたがその時は呼ばれませんでした。

その年チームはクライマックスシリーズにはいけなかったので秋の練習がほっともっとフィールド神戸で始まって、11月からの秋季キャンプメンバーに選ばれました。

実際秋のキャンプメンバーに選ばれるということは戦力外ではないということです。

「よっしゃー。セーフ。来年はキャリアハイ目指すために頑張ろう。」

と思っていたところ、その1週間か2週間後くらいに電話がかかってきました。

「マジかー。」

なんとも言えない無情の瞬間でした。

「俺キャンプ行くんじゃなかったん?」

ですよね?笑

おそらく最後の最後で選ばれてしまったんだと思います。

実際戦力外通告の日にコーチに挨拶に行ったら、

「は?祐二が?俺聞いてないけど。わけわからん。」

って言われたくらいなんでマジで最終メンバーだったんでしょうね。笑

僕の1軍の成績は多分良いほうだと思いますし(7勝7敗4ホールド防御率2.98)最終年も緊急登板してるし「なんでやねん!!」って思ったのはここだけの話ですが。笑

戦力外の電話が鳴って、次の日スーツでほっともっとフィールド神戸の近くにあった寮に行きましたが、僕はオリックスで過ごした日を嫌なものにしたくなかったので笑顔で過ごしました。

監督やコーチに挨拶しに行くときも笑顔でしたので「なんやこいつ」って思われたかもしれませんが、相手が思ってる常識に合わせる必要はここではないとおもい、笑顔を貫いてやりました。笑

僕はキャンプメンバーに選ばれてからも実は50対50の気持ちは持っていましたので、まだ大丈夫でしたが、家族のほうが相当ダメージを受けていました。

嫁にいたっては野球さえ見なくなってしまいました。笑

でも戦力外通告ってそれくらいのインパクトのある出来事で、僕も辞めてから1年間は野球に携わろうとはしませんでした。

今になって思うのは、野球から離れることで、もう野球ができないというその悲しい事実から逃げていたんだと思います。

辞めてから1年たって初めて、「本当は野球したいんやろ?」って自分に問いかけて、「やっぱそうよね。俺から野球とったらあかんやろ」ってことで今の仕事をするようになりました。

「次は次世代のプロ野球選手を育成して、野球に恩返ししよう」

と決意しました。

僕のプロフィールを読んでくれている方は知っていると思いますが、僕は中学から野球を始めて、そのときの監督に「ピッチャーやってみいひんか?」って言われてピッチャーをしだした経緯があります。

その時にピッチャーという「道」をしめしてくれなかったら僕はプロ野球選手にはなれていないと思います。

ですので次は僕が関わる全ての子どもたちに「道」を示してあげたいと思います。

 

戦力外通告とは終わりでもありますが、始まりでもあります。

プロ野球選手たちには、戦力外になっても何かできることがあるはずなので、戦力外になっても別の道を探してほしいと思います。

ファンの人たちには、その選手たちに暖かくお疲れ様と思っていただき新しい生活に送り出してあげてほしいと思います。

戦力外通告日とは誰もが嫌な思いのする一日になってしまいますが、それを乗り越えて前に進もうとしている元プロ野球選手たちに声援を送ってあげてほしいと思います。

それでは失礼いたします。

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

PS

戦力外になってもトライアウトがあります。

僕はこれで終わりかもしれないので悔いが残らないように全力で投げましたが、やっぱり悔いは残りますよね。笑

経験したことのある人にしかわかりませんがトライアウトは異様な雰囲気のあるところです。

一度見に行っていただいてもいいかもしれません。

おそらく試合に出るわけじゃないのに、緊張するしプレッシャーを感じることと思います。笑

  • 友だち追加

記事一覧へ

メールでのお問い合わせはこちらから

無料体験申し込みはこちら